2018年03月15日

    父親と兄を殺したくなった自分へ@

    父親も、兄も、憎む理由もある。殺したいという殺意もある。ただ、そんなことを実行しないのは、私が養われている、金銭的に自立していないってのが理由ではない。

    殺した後に、自分の人生がよくなるという明確なビジョンがもてないからである。完全犯罪なんて無理だろう。殺した後に後悔、自責の念で涙を流すかもしれない。いや、涙は流さなくても、私は、命を奪うということになれてない。実行しようにも、実行できないと思う。

    そう思えば、自分の長男に鉄製のセロハンテープ台を振り落とした父親、自分の弟に風呂場で水攻めにしたり、丸めた新聞紙でボコボコにできる兄ってのは、ある種の才能にあふれているのかもしれない。

    それは、怒りを暴力に連結させる才能である。殴れば、相手が痛みを受ける。そのことが分かっているから、暴力の行使は難しい。さらに、相手が年下で、圧倒的弱者であるなら、倫理観がそれを阻む。

    兄を殴っていた頃の父親は、20代とか30代で、人格が未成熟だったのかもしれない。弟に暴力や、性的虐待をした兄も、当然、子どもだった。しかし、圧倒的弱者に暴力を行使できるという才能のある・なしはあるのじゃないかと思う。

    もちろん、私も暴力の経験はある。同級生の間柄のケンカである。少なくとも、5歳年下を殴ったような記憶はない。暴力の才能のない人間が、才能のある人間を殺すのは、至難の技かもしれない。

    だから、「殺したい」というのは、本当は「はやく死ね」というのが近いのかもしれない。あるいは、私のこの憤りを、ものすごい方法でぶつけて、相手が精神的にまいって自殺するのが、一番、胸をすくのかもしれない。




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    posted by 北のジャンプサムライ。 at 17:39 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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